j.okawa

それでは、またここでお会いしましょう。

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うちの親父が隠れまして

日記

1月の頭に父が他界しました。
最初に連絡が来て、その日のうちで熊本に帰るのも間に合わず。
上京するときに親の死に目にも会えないかもしれないな、と思っていましたが、姉とビデオ通話をして最後に声を掛けました。

実家が離れている方には、あと何回親と会えるか、平均的な寿命で考えても計算したら限られているから、帰れるときには出来る限り帰ったほうがいい、という話をよくしていました。
そんな自分は全然出来ていなかった…。

親孝行なことをしてやれなかった…と落ち込んでいたのですが、熊本に帰ったら必ず寄させていただくお店で(父のことは話さなかったのですが)偶然「3歳までに親孝行の8割を終える」という話になり、それなら80何%かは親孝行できてたのかな、と少し心が軽くなりました。

2022年を振り返る

日記

2021年までと同様、今年も自分のTwitterのつぶやきから今年を振り返ってみようと思います。

この形式で投稿するのも9年目
Twitterは本当のつぶやき(誰に対してでもないつぶやき)として使っているので、普段見返すこともあまり無いのですが、こうやって毎年見返す機会を作ると1年間色々あったなと思い出しました。

それでは振り返っていきたいと思います。

1月:ここだろうな、と思っていたところが原因でした。
2月:ない袖は振れぬ
3月:某銀行の某支店のATMコーナーなのですが、その後もATMが謎のエラーを表示してたりで、このATMコーナーでだけ備え付けの電話を使います。
4月:半休って持て余しますよね。
5月:その昔言われた「若めのおじさん」になれたのだろうか。
6月:とあるラジオで話題に出た「おじさんの真顔は(怒っていなくても)怖い」ではないけれど、圧が出ないように気を付けています。
7月:当時は「1より2が面白い」に賭けていたのかもしれません。
8月:今年も引続きTOMOOさんに激ハマりでした。
9月:電子書籍がない本は買わないようにしているのですが、それを超えて買いたいと思わせてくれる本に数年ぶりに出会いました。
10月:よく伺う店に限らず初めてのお店でも、伝票付いてないものがあってお会計時に「もっと注文してますよ」と自己申告することが間々あります。ボクの雰囲気が安心感を与えられているのか、あるいは試されているのか(笑)。
11月:とはいえ大きくスベることも厭わずにウケを狙いに行くことも、ときには重要だよな、と今となっては思います。
12月:この頃よりもっと寒くなって来たので、コートをクリーニングに出しました。 #クリーニング仕上がって受け取ったけど着てない
来年は12年ぶりの年男(12年ぶりなのは当たり前)。来年もいい年にしたいと思います

ではでは。

2021年を振り返る

日記

2020年までと同様、今年も自分のTwitterのつぶやきから今年を振り返ってみようと思います。

この形式で投稿するのも8年目ですが、だんだんつぶやきも減ってきたので元々少なかった面白さもさらに減っています。
ただ、昨年も書きましたが、つぶやいたときの気持ちとか出来事とか、色々と思い出すことができるので見返すのは良いなと思います。

それでは振り返っていきたいと思います。

1月:気分屋なので、ときどきこうした西村京太郎トラベルミステリーのようなことが起きます。
2月:改めて調べてみたら、正しくは「私のこと、覚えていますか?」の言い換えで、元の圧が強かった(笑)
3月:結局はずーっと早い
4月:動画は見ていません。
5月:オレも、オマエも、みんなみんなざんねんないきものだーっ!(了)
6月:まだWindows12が来ないので、84バージョン先が出るまで生きていられるかな。
7月:1回お休み(リツイートしかしてなかった…)

8月:これはペンです。厚さは3cmまでです。
9月:新食感と言われて、本当に新しいような、経験したことがあるような、言い切れない感覚になります。
10月:ミッキーな甘さ、ドナルドな辛さ。
11月:もう1回お休み

12月:当時、ドコモショップの前で圏外になるじゃん、と思ってまたドコモにしました。

毎年いい年だったと締めくくっているので、来年もいい年にしたいと思います

ではでは。

恥ずかしさって段々と感じなくなっていくんだぜと過去の自分に言ってあげたい

日記

前のブログのときは「確かなものなんて何もないことが確かだ、と言うのならそれも確かではない」みたいな長いタイトルを使っていて結構気に入っていたのですが、最近は長いタイトルのブログをあまり書いていないな、と思って書いてみました。

で、本題に戻るのですが、いつの頃からか、恥ずかしいという感情を抱きにくくなってきたのに先日、ふと気づきました。
元々「カッコつけたい」というのは薄い人間だったと思いますが、10代の頃はもっと青年の恥じらい(笑)があった気がするのです。

単に大人になったということなのか、鈍感になったということなのか、8年以上のサービス業での経験を通じて「他人ってそんなに自分のこと見てないな」ということを理解したということなのか。
どういうことなのかはよく分かりませんが、ここ最近はすごく自然体な感じがしています。

それは良いことなのか悪いことなのか、あるいは良いことでもあり悪いことでもあるようにも思えますが、それこそ少しでも(正しく)恥を知ることに近づいていければいいのかな、と思う今日この頃です。

エッセイが読めるようになったというただそれだけの話

日記

エッセイ 昔から本もマンガも読むのが苦手で、幼少期~小学生の頃は教科書以外の文章なんて読んでこなかったし(そういえば、「がまくんとかえるくん」とか、絵本は好きだったかもしれない)、中学生以降の10代は音楽ばかりに浸ってきて、20代になっても読めるようになったのは軽めの小説とビジネス書ばかり。

小説も、いわゆる古典とか名作とか、そう言われるものを読んでおけば良かったとか、これから読んでいこうとか思いつつ、手が伸びず。

中でも、ジャンルで言うとエッセイだけは読めなくて、読めないというよりはピンと来ない、自分の中にスッと入っていかない、そんな馴染めなさがいつもありました

20代後半~30代になって、音楽も文章も、メジャーなものにあまり馴染めない自分も悪くないというか、それが自分なんだよなと思えるようにもなったのですが、今になってというか、とある方のエッセイを読んでから色んな方のエッセイが読めるようになりました。

読めるようになったというよりは、そんな馴染めない自分を少しずつ理解してきて、自分に合う筆者を見つけるのが上手くなった(ピンと来る作品を見つけられるようになった)のかもしれない。

「どこに居てもミスキャスト」(出典:the pillows「MY FOOT」)だな、と思うことも多いけれど、あるエッセイを読んで、こうやって自分に合うものを見つけられるようになって、幸せだな、と感じた夜でした。
ではでは。

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